旧延喜式内 郷社  磯 神 社 (イソジンジャ)

鎮座地

 

三重県伊勢市磯町権現前1069番地

 

神 紋

左三巴

 

祭 神

正殿一座

天照坐皇大御神 御魂
(あまてらしますすめおほみかみみたま)

太陽神・国家鎮護の総氏神

 

相殿二座

豊受毘賣大神 御魂
(とようけびめのおほかみ)

食・生産・産業の神(外宮御祭神)

 

 

木花佐久夜毘賣神
(このはなさくやびめのかみ)

子授・安産・子育・美容・厄除

 

境内社

宇都志國玉神
(うつしくにたまのかみ)

縁結び・招福・医薬神(大国主命)

 

 

菊理姫神
(くくりひめのかみ)

仲介和解・縁結びの神

 

 

大山津見神
(おおやまつみのかみ)

山神・田神・産神


祭 祀

祈年祭

2月 5日

 

 

御頭祭

2月 11日

 

 

例大祭

4月 21日

 

 

新嘗祭

11月 24日

 

 

外二十祭

 

 


縁 起

◆当社の創建は古く皇大神宮(内宮)創祀の神代に遡り「皇大神宮儀 式帳」「延喜式神名帳」等、著名な古書に社名が記載されている。
なかでも「倭姫命世記」に、垂仁天皇二十五年(紀元前五年頃)三月、 皇女倭姫命が大御神を奉じ「大神を鎮め坐さしむ処を求めて」つまり 永遠に安定した神事を続けることができる最適地を求めて、大和から 近江、美濃の諸国を巡られた。ようやく辿り着いた地を「伊蘇宮或は 磯宮」と称したのがその創祀である。天照大神が宇治郷五十鈴川辺の 現在地に御鎮座後も、その行宮旧跡を「磯神社」と号し、近隣の人々 に尊崇されていたが、後年の宮川の度重なる洪水で旧地が崩壊、水没 した為、「神名帳考證/伴信友」に記されている磯の八王子社の鎮ま り坐す現在の社地「権現林」に遷祀したとされている。明治期に「清濱社」「白山社」「山神社」を合祀し現在に至っている。延喜式神名帳の伊勢国度会郡『磯神社』がこれであり、延喜式内郷社に列せられた。
又、倭姫命巡行時の仮宮旧跡=「元伊勢」(伊勢の神宮鎮座伝承に関わる神社)に比定され、全国から参拝者が絶えない。


宝 物

獅子頭   作者・製作年不詳
        (格納箱に「元禄十丁丑日天子八王子 正月吉祥日」と墨書あり)


特殊神事

 当当社の特殊神事として、毎年二月十一日に「無病息災」 「町内安寧」「五穀豊穣」を願う民俗芸能の御頭舞が古式かしく祭行されている。
「磯のお頭さん」と愛称され、由緒あるものであり社宝として大切に保存され、伝統の御頭舞神事として世代をこえて継承されている。


境内地

磯つつじ公園(境内地 2024u)毎年四月中旬 〜五月上旬、約三〇〇本の 「ヒラドツツジ」が咲き誇り伊勢市春花の名所として大勢の見物客で賑う。
他にも四季折々の花が咲き池の水面には紅白の睡蓮の花が映え、噴水が勢いよく吹き上り、錦鯉が優雅に泳ぐ池畔の東屋で、のどかに時を過ごす親子の姿も微笑ましく市民の憩いの公園として親しまれている。
又、当社境内には推定樹齢七〇〇年の御神木の大楠(幹経約十b)が威風堂々と聳えている。参拝に訪れる人々が大楠の気を授かろうと、幹に手を当てて暫し瞑想している姿も見受けられる。


慶光院上人と磯町

伊勢では二十年に一度、神宮の式年遷宮の御造営用材を旧神領民が両宮へ運び入れる「お木曳行事」が行われる。
戦国乱世の世に中断していた神宮の式年遷宮を復興させた慶光院三代上人 (守悦・清順・周養)の神忠に報い、豊臣秀吉や徳川家康より磯村(現伊勢市磯町)を寺領として朱印拝領していた。
お木曳では外宮領は陸曳、内宮領が五十鈴川を川曳するが、旧寺領の磯町は「慶光院曳」と称して宮川堤から内宮まで、凡そ十三時間かけて、御用材の中で最も太い内宮正殿の「御扉木」用材を内宮領でありながら、唯一陸路奉曳する栄誉が今なお受け継がれ誇りとするところである。
磯町民の旧慶光院領主に対する敬慕の念は今尚篤く、町内の玉雲寺(臨済宗妙心寺派)で毎年五月初、当主をお招きして歴世慶光院上人を顕彰する法要が営まれている。